こんばんは。
今日もやることはいっぱいあったのですが、年明けてからコロナのせいもあって行けてなかった墓参りを弾丸トンボ返りで敢行しました。
あ、うちのお墓は沼津にあります。
実家も伊豆の奥に引っ込んでしまったので実家も寄りません。
しっかり掃除して挨拶したあと、すぐそばにある千本浜海岸へ。
なにはともあれ、海を見ればホッとします。
でも、今回はちょっと感動しました。
海岸がきれいになってたんです。
そう、今日は自然と向き合って生きましょう!
がテーマです。
(富士山は残念ながら。。。雲に隠れてます)
実はこの海岸、けっこういろんなものが流れ着く場所のようで廃プラのゴミは以前は当たり前のようにたまっていたんです。
そこで、地元の知人も参加してるのですが、千本浜をきれいにするという活動があります。
Facebookでその様子は何度か見ていたんですが、ここまできれいにしてるとは思いませんでした。
こういう地道な活動を実際やるってすごいことですよね。
私も東京に出てきてしばらく経ちますけど、
大げさかもしれませんが、
自然と向き合ってないなぁ~とちょっと恥ずかしい気持ちに。
私、30代ぐらいまではいろんな形で自然と向き合うような人生を送ってきました。
20代にはカヌーでアラスカのユーコン川を下りに行ったりしてます。
人間としてのスキルはもちろん生きていくための自信みたいなものまで、
私は自然と向き合うことで身につけてきたような気がします。
それがこのところは仕事に追われて自然と向き合うことはなかなかありません(泣)
そのせいか、単に体力が落ちてきただけなのかわかりませんが、
本能的にふわふわした感覚になってきた気がします。
どっしり地に足がついてない感覚なんです。
これでは自然素材をすすめる人間としては良くないだろうと思うわけです(苦笑)
気づけば、自然素材の機能性などばかり説明して本質的な部分が話せてないと思います。
だから、些細なモノでもいいので自然なものとコミュニケーションをとりたいんですよね。
謎なことを言ってると思われるかもしれませんが、
これは家づくりに自然素材を検討されてるお客様にも同じように考えていただきたいんです。
自然素材は大概何らかの弱点(人間の都合からいくと)を抱えていることが多いですよね。
ひび割れるとか隙間が出来る、反ったり、ねじれたり、などなど。
これら全てを受け止め上手くつきあっていくことが必要とされます。
製品として機能性ばかりをフォーカスしてしまうとつきあいきれません。
では、私も含めてなぜ自然素材はいいよってすすめるのでしょうか?
不確かなことを言うのですが、自然なモノが発するエネルギーみたいなものが本能的にイイと感じるからだと思うんですね。
数値とか理論的に説明がつかないことが多いじゃないですか。
こういう本能って常に研ぎ澄ませておかないとなまってしまう。
アラスカで川を下ってる時は人の住む町に1週間くらいたどり着かないんですね。
人間って不思議で人工的なモノから離れると神経がどんどん研ぎ澄まされていくんですね。
旅の最後には、まだゴールの町までは30キロ以上あるのに、
町の人工的な音を感じ取ることができるようになってたんです。
人間はすごい潜在能力を持ってるんですよね。
そこで、周りにある石でも木、虫、草でもなんでもいいから自然なものと向き合い、何かを感じる練習をして欲しいなと思うんです。
いい意味で動物を忘れて欲しくないんです。
今日はきれいになった海岸を見てそんなことを考えてしまいました(笑)
Comments