カテゴリー 日常の中で感じたこと
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東京・多摩エリアの「つくり家工務店」です。

子どもの頃、若い頃、ルールってうざいなぁって思うことなかったですか?
私の世代だと尾崎豊の歌のように大人のつくったルールに疑問を持ち、ルールを破ることがかっこいいとまで思ったものです。
昨日、日曜日はルールを考えることがあり、気づかないうちにルールのわずらわしさを忘れている自分がいたことにちょっとびっくりって感じをシェアしたいと思います。
最近意識させられることが多いのが「モラル」
必要以上にモラルを追求されることが多い気がします。
年齢相応に「ルール」と「モラル」を求められるのが社会。
いずれにしても、はみ出せば、叩かれる。
この「ルール」と「モラル」の占める割合が年齢とともに変わっていくのが面白いなぁと思って。
本来は、モラルを形成するためにルールがあるべきだということ。
ただ、最近思うのは、この「ルール」、「モラル」は合っているの?という疑問です。
社会のためになってない気がするんですよね。
ルールは約束事とかと訳せばいいでしょうか。
自分たちで決めるということもありますが、大概が、大人などの年長者が、子どもなどの年少者に対して、あるいはグループが、調和がとれるようにするためにつくるもの。
支配されてるイメージは否めません。
一方で、モラルは、物事の善悪とでも言えばいいでしょうか。
恐らく、ルールを守りつつ、年齢を重ねることで培われていくものだと思います。
ある程度、自由ではあり、自分で考えて意識するものです。
最近のルールは、コンプライアンスという名の下に、子どもたちのためというよりか、大人の自分の身を守るためだけなのではないか、自分で考えて行動する(モラル)を放棄しているのではないかというものが増えている気がします。
時には、ルールさえ守れば、あとはどうでもいいといった人もいるぐらい。
有名人がトラブルに関わったかもしれない段階でスポンサー企業がサッと手を引くなんて、私は違うなぁと感じます。
社会を気持ちよく過ごす目的だったはずが、空寒い、居心地の悪いグループに貢献している気がします。
マニュアル至上主義も同様な考え方でしょう。
ルールが、守るべき人のためではなく、守らせたい人のためのものに変わっているのではないでしょうか?
改めて、人は、自分で考えて、自分で判断することができる動物。
モラルという強い芯をブレさせてはいけないんだと思います。
逆に、ルールは臨機応変に変えていいんです。
あくまでもモラルありきのルールなんです。
昨日は、子どもにどこまでモラルを求めるべきなんだろうと考える場面があったので、こんなところまで考えてしまいました。
子どもにモラルが必要なのか?
モラルを養うためにルールはどこまで必要なのか?
子どもには何も考えずにのびのび育ってもらえばいいのか?
悩みは堂々巡りしてしまうのですが。
それでも、
あくまでも、その子供のモラルを醸成するためにルールを考えてあげなければいけないんだなぁという結論に至りました。
そして、ルールだけではだめで、人を思いやれる心を育てる環境を整えてあげるのが大事だということ。
人はひとりでは生きていけません。
他者と上手く関われるような環境をつくっていきたいですね。
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