木の家・自然な家で、あなたの暮らしを楽しみませんか?
東京・多摩エリアの「つくり家工務店」です。
今日は現場を早めに切り上げて、設計士さんのところへ。
初めての方なので、緊張感を持ちつつ、時間通りに。
人見知りする方な私にとって、何を話していいのだろうといつも迷うのですが、結局最後は、ありのままに当たって砕けろ精神。
お願いしているのは私なので、必要なことは話したつもりですが、上手く伝わったでしょうか?
いくつか共有できることもあったので、良いお返事が来ることを祈るばかりです。
個人事業主を始めてから15年は経ったのでしょうか?
エンドユーザーのお客さんと話すようになって、それ以前の自分と比べたら、ホントにしゃべれるようになりました。
あくまでも以前と比べてですが(苦笑)。
それまでは、正直言ってしゃべる必要がなかった。
というよりもしゃべれなかった。
大工という職人として技術だけ追及していればいいという安直な考えもあったからです。
なので、最近知り合った方に、そのしゃべれなかった話をすると驚かれたりします。
逆に、昔の私を知る人が今の私を見て驚いたりします。
必要に駆られればできるようになるんだなぁと自分というか人間の能力を再発見した思いです(自分で言うのもなんですが)。
ただ、その変化が人として良くなったのかどうかは何とも言えませんが。
しゃべる機会が増えた分、相手に不快な気持ちを抱かせることも増えたかもしれません。
なるべくそうならないように、相手のことを考えることは、増えたと思います。
忖度するとは違うと思うのですが、相手の立場になることは、いつも意識しているつもりです。
それでも失敗はあるので、気をつけながらも積極的にコミュニケーションを取っていきたいと思ってます。
その一方で、話す人が増えたことで感じることも。
人それぞれ考えていることが全然違うんだなぁってこと。
今までは人によって違うなんてあまり意識もしなかったのですが、実際には、常識や正義感すらも、みんな違うんだと知りました。
ネット警察など、人を叩く今の風潮があるのは、「みんな違うんだ」という意識が薄いからなのかもしれません。
「みんな違うんだ」という意識を受け入れることと、その違いを調整するために、コミュニケーションをしてお互いを理解することが大事ですね。
しゃべらないって、私にとってはラクなことでした。
あまり考えなくてよかったし、周りの人を意識して気遣う必要もないからです。
昔は、そんなことすら気づいてはいなかったのですが。
今は会話することの楽しさや意義を感じていますが、そもそも人は、そういうことに特化した動物のはず。
最強の才能を使わないなんておかしな話ですね。
また、一人で商売を始めてみて痛感したことは、一人でできることなんてホントにたかが知れてること。
一人では何もできないことを感じながら、いろんな人に助けてもらってることに感謝しなければいけないですね。
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